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ぶっちゃけ 丹田ってなに?(コラ

 日本鍼灸では特にそうですが、臍下丹田の気を満ちたらす事を重視しております。では、丹田ってぶっちゃけナニ?
 案外、この問いに答えられる鍼灸師って少ないかもしれないよ。(遠い眼をしてお茶を濁すとか)

 では、ツボで丹田と呼ばれるところは何処でしょうか?

 「鍼灸重宝記」は石門(臍下二寸)に別名丹田としております。普通なら関元(臍下3寸)気海(臍下1.5寸)も入るでしょう。丹田は臍下にあるようですが、まちまちですね。

 では、腎間の動気でもそうですが、丹田の虚実を見極める方法は?

 普段、引用していない本から引用してみましょう。操体法を開発した医師、橋本敬三の「鍼灸による即効療法」(絶版)(この本の出版時にはまだ操体法はできていなかったと思われる。)


 虚症の目標
 外見上、心配なさそうに見える病人でも、運動系上では、腹部正中線上、臍下2~3横指のところを指圧してみて、あたかも穴でもあいているが如く、弾力がなく抵抗がなく指が入り込むようであれば、虚症に陥っている証拠であるから、予後に油断を許さない。弾力がでてくるようであれば有望である。「鍼灸による即効療法」橋本敬三


 ツボでいうところの、石門、関元付近を指で圧し、ズブズブズブと入るのは良くないよね、ということでしょう。

 さて、丹田の位置が微妙にずれているのは何故か?一ついえることが、丹田は眼に見えないからです。(ツボにしてもそうですが)そして、実際に人体を解剖しても、それっぽいものが無いからです。架空の臓器ともいえるでしょうが、無いもの無いかもしれないものを感じるのが日本人でしょう。

何故、一定でないのか?また、古典に丹田はなんと説明してあるのか?

 今日はお初の古典をこれでもか!これでもか!と出します。(年末大安売り)


 今回、引用するのは、本間祥白の「鍼灸病証学」です。(これも絶版)

 本間祥白は、経絡的治療の創始者、井上恵理のお弟子さんで、その人となりは上地栄氏の「昭和鍼灸の歳月」に書かれております。本間祥白の代表作ともいえる「鍼灸病証学」。この本の元ねたは韓国の「東医宝鑑」といわれております。ドラマになったホジュンの命がけの大作ですね。もっとも、その源流はさかのぼれ、中国の「医学綱目」とも言われます。病証の分け方を見ますと、確かに元ねたといえます。鍼灸病証学が手に入らなかった時は、医学綱目を買いました。とんでもない大作で、読み込めないし、使いこなせません(苦笑)

 では、丹田に関連ありげなところを引用してみましょう。


胞(一名赤宮子宮)
経絡衝脈任脈督脈皆胞中に起る。

婦人胎児の居る所名けて子宮という(東垣) 胞一名丹田、関元。臍下三寸に在り、方円4寸脊梁に著く。両腎の間中央の赤是也(東医)

臍は斉なり
其の上下斉しきを言う也。身の半正を臍中と言う、下丹田は臍下三寸に在り方円4寸。難経曰く十二経脈皆生気の原に係る、所謂正気の原は腎間の動気を謂う、即ち下丹田也、五臓六腑の本、十二経の根、呼吸の門、三焦の源也。
 「鍼灸病証学」(絶版)本間祥白


東垣とは、「脾胃論」を書いた李東垣であり、東医とは、ホジュンの東医宝鑑です。

 丹田は「点」ではなく「円形」臍下三寸にあり、直径?4寸。となると、石門も気海も丹田といっても別に良いでしょう。背骨にも連なっている、これなら、腎間の動気という表現も納得できます。(解剖学的に腎臓の高さとは違う印象がありますが)

 丹田とは、身体意識であり、あくまでも感覚ともいえます。

 とはいえ、鍼灸病証学、東医宝鑑の子宮の部分に書かれておりますから、ネットなどでは良く見かける、

 「丹田=子宮説」も当然成り立ちますよね。

 確かに、子宮に胎児が身ごもった状態と、上の丹田の説明は納得いくものがあります。

 さて、丹田、禁鍼説があります。石門なんかに鍼刺すと、子供が出来なくなるとか。

 私が持っている江戸古典には、凄まじい難産で、やむなく母体を救うため、最後の秘策として、この部位に深刺を指示するものもあります。(あえてツボ名は避けます)

 昔は、腹部は深く刺す事を指示するものが多く、確かに、丹田=子宮なら、こんなところに深く刺せば、内臓を損なうこともあったでしょう。しかも千年単位の前時代では、消毒法も発達しておらず、鍼も激太、正直、危険です。

 (古説重視とはいえ、そんな事もなかったとする有力説も多数存在します)

 妊婦さんにダメダメはもちろんですが、関元なんかは、慎重に使えば実に妙味のあるツボと言えます。

 出産後、昔風に言うならば、産後のひだちが悪く、頭にお血(古血)が上ると危険だから、関元付近に鍼をするのが、御園無分流、火曳きの鍼です。関元、つまりツボ、治療穴は条件、タイミングによって効果が全く違うともいえます。

 「丹田って子宮なんだ、じゃあ、男には丹田って無いの?」そんな疑問もあろうかと思います。というか、もっともです。

 衝、任、督脈の出る胞中って、なんとなく子宮っぽいけど、男だと何処なの?(これについては別の時に)

 一つには丹田は前立腺なんだ、という意見をネットなどでは見かけます。まあ…確かにそんな気がしないでもない。そうかくと、じゃあ前○腺マ○○ージって、丹田形成に良いんだ、受けてこよう!!(本来これって医療行為なんですが…)

 私は否定しませんが、房中術には少なからずこういう面があろうかと思います。丹波康頼が千年前に書いた「医心方」はそれまでの中国、漢方医学の集大成的な書物ですが、医心方には、房中術の記載が少しあるそうです(僕はまだ医心方読んでいませんから)医心方=房中術と考えている人はあまりにも多い。

 房中術を以って不老長寿ならぬ不老不死を目指そうとする人、研究した人がいてもおかしくはありません。

 でも房中術使って不老不死になった人、僕は見たこと無いなあ。



 さて、沢田流的に考察してみましょう。沢田健は、左陽池、中かん、(場合によっては右陽池)を以って、子宮左屈、子宮の位置異常を治したとされております。丹田=子宮と考えても良いかもしれないが、骨盤内内臓の位置調整をして、丹田の意識を認知させた、と考えるのはいかがでしょう?

 丹田が子宮、そして男なら前立腺なら、前立腺肥大、前立腺炎にこの技が効く事を安視させております。しかし、男の場合は、前立腺とは言えず、別のところに効いちゃうようです。(沢田流とか深谷の主治では、違う事が書かれております。


 丹田の秘密、こんなことは、ネットサーフィンして、気功、整体系の方がブログなんかに書かれているでしょう。

 せっかくだから、鍼灸師だから出来ることを、後編に書こうと思います。つまり、丹田育成を阻害するもの、例えば、「腹部瘀血」とか。

 続く


関連記事丹田 石門の危険性

沢田流太極療法 太極の別説


注 私は今まで、この記事を書く事をためらっておりました。丹田の禁鍼説の私なりの解説は、悪用する人が使う可能性があります。また、丹田=子宮説より、前立腺説はともすれば、こちらは別の意味で悪用され、誤った解釈がされやすい、そして私の文章もその危険性をはらんでおります。そのため、ブログで書く事をためらっておりました。ですが、丹田は十二経の大本であり、丹田の解釈は多くの方に有益では無いだろうか?と考え、批判を承知で書きました。この記事は期間限定にするかもしれません。このブログ記事を読まれた方は、気分を害する事もなくはない、なにとぞ、御了承くださいませ。
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テーマ : 医療
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沢田流太極療法 太極の別説

 皆さん、こんにちは、やいと屋です。すっかりご無沙汰しておりますが、これでも忙しい身なんで。
 このブログでは夏ごろ、ダウジング、オーリングなど書いておりました。最近は、この技術の練習がてらに、まあ、地面のエネルギーの流れなんてものも探っております。こう書くとヤバイ奴に見えるでしょうが、元々ダウジングというのは特殊な技術ではなく、練習すれば誰でも身につけられる技術です。別に超能力とかニュータイプな能力ではありません。だから、そういう練習方法も研究の対象です。

 また、ダウジング系には、治療家が避けて通れない、邪気のはらい方、防ぎ方も書いてあります。これについてもいつか買いて見ましょう。

 今日は、家のエネルギーの流れっていったらいわゆる一つの「家相」ですね。

 私もかつては若き郷土史研究家として活動しておりましたし、大陰陽師阿部晴明(正式名称はあべ せいめい ではなく、 はれあきら)も守備範囲でした。そういう話にも免疫があるんですね。

 家相にも「太極」という言葉があります。

 家相で言う太極とは「屋敷の図面の重心の位置」です。簡単に言えばね。方眼紙かなんかで図面を切り取り、正確に重心の位置を決める。ここが太極であり、大黒柱の位置になります。(あくまでも家相の一つの説ですが)

 さて、太極に「重心の位置」という概念が家相にはあるんですね。そこで、鍼灸における「太極」を考えて見ましょう。

 鍼灸における太極療法(沢田流)とは、太極とは根本、つまり枝木に惑わされず、根本を見る。五臓六腑の不調和を治す、とか、このブログのどこかに書いてあるでしょう。(テキトー)

 ここで仮説


 太極とは、根本という意味もあるが、太極療法とは、人体の重心の不調和を治す事を基本に考えていたのではないか?

鍼灸治療基礎学、沢田流聞書には、重心という話は書いてないはずです。ですが、思わせる逸話はいくつかあるんですね。

 ろうそくの火、ろうそく一本分、正座して丹田を鍛えたとか、沢田流基本穴のあれとかこれとか。

 今日は連載にせず、一気に書きましょう。

 ご都合主義で話は飛びますが、じゃあ、人間の重心って何処と考えます?

 鍼灸師なら、中焦たる中かん、またはヘソとその真裏の命門。または、大黒柱から、正中線たる任脈、督脈を考えるかもしれません。それと、日本鍼灸が重視する「丹田」と答えるでしょう。

 もう少し考えて見ましょう。では人間が立った時に重心となるところはどこか?

 これのヒントは、運動学にもありますが、せっかくなので、鍼灸書籍の引用をみてみましょう。


先生は腎臓云々といって腎に重きをおいたが、脾臓にも肝臓にも重きを置き、肝脾腎三焦と口癖のように云っていた。膈兪は膈兪として、心兪は心兪として、肺兪は肺兪として、それぞれ重要な穴であること勿論であるが、これらの穴は肝脾腎三焦ほどには使はれなかった。次髎の穴は、殆ど総ての患者に用いられたが、これは骨盤部内臓の治穴として重要なばかりでなく、足の方の病気にも必要であり、また身体の上部よりも下部に力を注ぐことにより、丹田に力が満ち、身体が安定するためであったのではないかと思ふ。いや、そればかりでなく、膀胱兪を殆ど用ひなかったので、膀胱兪の代りに次髎を用ひられたのかもしれぬ。膀胱経は、身体の後側の殆どすべてを占める重要な経絡であり、五臓六腑の兪穴はこの経の上にあり、内蔵の故障のすべては膀胱経の上に反応となって現われて来るので、この次髎の穴を重要視したのであろう。 「沢田流聞書 鍼灸真髄」


自分のブログの文章へリンク張ってもよかったですが、見るのがめんどくさいだろうと思うので、そのままここに引用文を書いておきます。(興味があれば、このブログ「沢田健の診断術」の三部をお読みください。

膀胱兪ではなく、なぜ次髎なのか?仙骨の穴へ火を通したかったから?ここも疑問に思っておりました。実は、名家灸選に腰痛一切に効く灸というものがあります。これは、深谷伊三郎の名家灸選釈義にあり、あえてここではツボ名など引用しません。ご興味があればお買い求めください。

名家灸選のこの治療穴の一部を書きますと、膀胱兪と膀胱兪と背骨(正中線)の交点、の三穴へ灸(それと腰のどこかに灸)膀胱兪の横のラインと背骨のラインの交点、いわば仙骨上ですが、ここは次髎の内側と表現してみてもよいでしょう。

ここは人間が立った時の重心になります。

名家灸選の灸は、人体に重心の位置に灸をすえて、人体に重心の位置を認識させる、そしてどっこいしょと、座った状態から立ち上がる時に力の入れる必要のある腰の部分に灸をする、と私は現時点で解釈しております。(まどろっこしい説明ですが)

丹田とはいろいろ説はありますが、人間の立った時の重心、そして太極療法とは、五臓六腑の不調和を治す意味もあるが、人間にまず重心の位置を認知させ、重心の位置が引き連れるであろう原因たるところを探して、緩める、引き締める、そうしてみると、ツボにはこだわらないが、人間の身体には法則性があるから、自然に常用穴ができ、これが沢田流基本穴と呼ばれるものであった、と考えてみてはどうでしょうか?

「沢田健の診断術(前編)」では、沢田健は腹診、丹田(関元付近)を探り、手ごたえを見る。中間と左陽池に灸する、そして場合によっては、気海、滑肉門、大巨、期門など腹部の灸を増やす。
患者を裏向き(伏臥位)にして次髎とか腎ゆなど腰に灸し、背中、手足は助手に任せていたようです、と書きました。この技で患者に丹田の感覚を養わせていた。

 沢田健が非凡なのは、重心の位置を意識して治療していたわけだし、名家灸選の灸法を考えた人も、ここを考えていた。ネタがわかれば、なんだ、なんですが、案外、気が付かないものです。少なくとも私は無意識ではなんとなく、もやもやがありましたが、これがわかるまで3年ほどかかりました。最後の仕留めとなったのが、家相でいう太極の定義です。

 この考えに到ったのは、名家灸選、腰痛の灸が馬鹿に効くので、
「なんでそ~なるの?」(コント55号風)(古

 つまり、沢田流基本穴にしても、なんでそこを使うのか?自分なりに考えたんです。あの人天才だし~特別だし~で終わっては先人に失礼では無いか?考えるのを辞めずに、考え続けたから。それだけです。

 なんで沢田流基本穴が作られたのか?そこら辺のいきさつがわからないと、応用って出来ないでしょうね。基本穴を使えばそれでいい、定石だけでそれでよい、パターン治療を作ってそこで終わる。それでは、いけないと思ったんですよ。

 最近、将棋の竜王戦で、新竜王が誕生しました。昔、将棋指しの羽生善治氏の手で一見訳がわからないが、後に効いてくる手を「羽生マジック」と呼びました。マジックと呼んでいますが、ちゃんとタネはあるのです。タネの仕組みを知りたかった、それだけです。


さて、話を戻して、腰痛の人で、沢田流で丹田を認知させた、もう一押しとして、足が運びやすくする為には、ここで脚気八処の灸なんてものも、意味があったりするのです。全部使う必要が無いが、あの場所に意味がある。座って灸してみるとかね。


 それと、立った時のバランス、これを考えて見ましょう。丹田を認知させた、こわばりをとりたいよね、となると、膀胱経の背部ゆ穴になります。これも上記の引用文でもあり、膀胱経は人間の後ろ部分の大半を占めております。膀胱経だけではバランスが悪いのではないか?そうなると、人間の前面にも刺激を入れたい、結構よさげなのは、陽明経(足の胃経、手の大腸経)特に足の陽明経は、身体の前面を占めておりますので、これなんかもいいんじゃない?

 昭和の名灸師と称えられた深谷伊三郎は、「図説 深谷灸法」では、治療の締めに手足の要穴へ灸をして終えたようです。これを「止めの灸」と呼ぶ。本には、灸の熱が頭に行き、のぼせ防止に、合穴たる曲池、足三里、手三里などへする、としております。

 少し妄想になりますが、深谷先生の治療は僕は見たことはありません。家伝灸宜しく、背中の背部ゆ穴重視なら、止めの灸で足三里を使う理由として、「背中の膀胱経への刺激の帳尻を合わせるため、足の陽明経でバランスをとっていた。」としてみてはどうでしょう?もっとも、止めの灸では三陰交も使っているようですが。

 これは名家灸選に、足三里に灸して火を引き下げる、という文がヒントになっているかもしれません。さらに言えば古書では、背中の膏肓に灸したら、へそ下の気海付近、そして足三里に灸しろ、気がめぐってよいぞ、と書いてあります。

 止めの灸っぽいのは、深谷の発明ではなく、それ以前にも概念はあったのでしょうが、どの程度意識していたかはわかりませんが、深谷灸も調べれば調べるほど、非凡さが垣間見られます。深谷伊三郎の恐ろしさは、古典の応用の仕方でしょうか?(こんな軽く書いてはお弟子さんに叱られるでしょうが)

 足の陽明経を使うのは、長野式の「胃の気三点」でも言えるかもしれません。発想は同じなのか?胃の気三点処置も古典を調べれば調べるほど、その奥深さ、応用の広さには驚かされますが。

 長野潔の胃の気三点は、どのような本を読んで、ここに到ったのか?考察もしております。こちらも書くかもしれません。


 要は、有名無名を問わず、先人が到った知恵の秘密を解いてみたいという欲求です。数年したら、解釈は変わるかもしれません。秘密を知らなければ、そこまで行けない。

 腰の治療云々も書きましたが、膀胱経、胃経を使えばよい、ではなく、使い方、反応点のつかみ方など、これらも知らなければ、使いこなせません。胆経も必要になるよね。

 人間が立った時の重心を意識してみて、無理しているところを探す。これは体表観察の大切さでもありますし、観察眼ともいえますね。観察眼といいますと、心理学っぽいですが、しゃべり方、声、姿勢などからも情報を読み取れよ、という事でしょう。

 眼に見えないものを相手する「気」それが鍼灸師でしょう。ですがその前段階で、眼に見えないものの前に眼に見えるもの、触ってわかるものを理解する努力、また鍛錬も必要でしょう、というのが僕の現段階での見解です。

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澤田健の診断術(後編)

 もう一度、引用文を書く。

 先生は腎臓云々といって腎に重きをおいたが、脾臓にも肝臓にも重きを置き、肝脾腎三焦と口癖のように云っていた。膈兪は膈兪として、心兪は心兪として、肺兪は肺兪として、それぞれ重要な穴であること勿論であるが、これらの穴は肝脾腎三焦ほどには使はれなかった。次髎の穴は、殆ど総ての患者に用いられたが、これは骨盤部内臓の治穴として重要なばかりでなく、足の方の病気にも必要であり、また身体の上部よりも下部に力を注ぐことにより、丹田に力が満ち、身体が安定するためであったのではないかと思ふ。いや、そればかりでなく、膀胱兪を殆ど用ひなかったので、膀胱兪の代りに次髎を用ひられたのかもしれぬ。膀胱経は、身体の後側の殆どすべてを占める重要な経絡であり、五臓六腑の兪穴はこの経の上にあり、内蔵の故障のすべては膀胱経の上に反応となって現われて来るので、この次髎の穴を重要視したのであろう。
 身柱も重要視した経穴で、殆ど総ての患者に用ひられた。内経を重視し、古典に基く治療に終始したわけであるが、先生の治療の根本をなすものは、古典の説のみでなく、生ける体を読んで治療するといふ達識に基いて、長年の治療経験によつて自得された力であろう。


 さて次髎の穴であるが、二つの次髎の中点、仙骨の正中線の一点は立った人間の重心の位置になり、次髎を使うことにより、立った時に身体の軽さを認知させる目的があったのではないかと考えている。しかし、膀胱兪をあまり使わなかった理由はなにかあるのであろうか?

 また、沢田は腎間の動気の位置(丹田)をイメージして治療していたのではないか?というのが私の考察である。空間認識能力とでもいおうか、灸をすえるとき、空間を意識して灸をすえると、効果が倍増されるのではないか?というのも私の今のところの結論である。

 沢田流は基本穴を使えば全身にバランスよく配合されているので、初心者でも全身調整が出来る、と考えている沢田流論者は多いだろう。(実は最近まで私もこう考えていた)しかし、はじめに基本穴ありきで治療していたわけではない事は、上記の文章で読み取って欲しい。

 はじめに基本穴ありきでは、沢田健が重視したであろう、体表観察が二の次になる。また、基本穴にしばられていては、柔軟な対応は出来ないのではないだろうか?多くの流派は創始者が作った治療パターンの踏襲に後継者は終わり、それ以上発展させる事が出来ないのは、鍼灸史の示す通りである。肝心の沢田流も沢田流基本穴を使えば、それでよい、としてそれ以降の発展が妨げられた事はいなめない。

 これは、沢田流だけでなく、今も続く鍼灸流派の問題点で無いだろうか?創始者がカリスマであった場合、あの先生の考えたことだから、間違いはない、と深く、いや、何も考えず、踏襲する場合はあるのではないか?

 とはいえ、すぐに創始者の作ったものを変えてしまう弟子も、それはそれで問題だと思う。変えてしまう弟子は、後継者とは呼べない。この辺は、鍼灸だけでなく、技術の伝承、また弟子の育成方法、色々な問題点があり、簡単に結論は出せない。

 沢田の真骨頂は、左陽池と中脘に灸をして、様子を見た、という事ではないだろうか?そして治療をしながら、丹田を探り、灸の配分を考えていた事ではないだろうか?これは近くで見ているだけではわからない。実際に患者に左陽池と中脘に灸をして反応を確かめなければならないのだが、沢田は総ての患者にここだけは譲らなかったのであろうから、弟子たちは自分の治療院で自分の患者に治療して体感するしかなかったであろう。自分の患者に使い、その体験を重視する事は、鍼灸総てがそうかもしれない。

 また、沢田健の治療は和室の畳の上であったろう。仰臥と伏臥の体位変換はベッドの上では、案外難しいのである。畳の上なら転がるだけである。沢田流の衰退は、治療室が和室からベッドの上になった事も関係しているかもしれない。

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澤田健の診断術(中編)

 次に付録から引用する。この一文は沢田の治療風景の描写としては、一番イメージしやすい。

 患者が来ると先づ仰臥せしめて腹を診る。さうして丹田の気をうかがふ。丹田の虚実を診ると治療方針が定まる。臍下腎間の動気は人の生命、十二経の原で、丹田に力が満ちて来れば如何なる病気もなほるという考えで、すべて治療の眼目は丹田に元気を満たすにあつた。それには三焦をととのえる要がある。そこで左陽池と中脘とに灸をすえる。なほ必要なれば水分や気海や大巨や滑肉門を使ふ。それから伏臥せしめる。先づ腎兪を診る。京門を診る。京門は腎の募穴だからこれを重要視した。腎の力の虚したるは補ひ、実したるは瀉したる。……

 沢田は不問診、観ただけでどこが悪いか?見破る達人であるが、腹診を重視したようである。まず、丹田(関元付近)の虚実を伺う。そして予後の判断はどのようにしたのであろうか?私は、左陽池と中脘の交互すえの時に、丹田を触って判断したのではないか?と思っている。
 つまり、左陽池と中脘を交互にすえながら、腹部に手を置き、下腹部に変化があるかで決めていたと思う。変化があれば、予後良好として腰に移る。変化が乏しい時、気海など腹部の灸を足したのではないだろうか?沢田の診断即治療、そして灸をどれだけすえるか?は左陽池と中脘の交互すえで決めていた、というのが私の現時点での結論である。これは、先ず丹田を探り、治療方針を決めるが、実際に灸をすえてみて、その変化に柔軟に対応していたのであろう。沢田はかなりの観察眼であったから、一壮一壮の変化も見て取ったのであろう。

 また、腎を瀉したとしているが、これはあまりあてにならない。この文章を書いた代田文誌は文筆家で、「補う」の対として、文章の綺麗さという点で、「実したるは瀉したる」と入れたのかもしれない。実際は、沢田は腎実もあるとしていた、という見方もあるし、代田の文章家として付け加えたものとも解釈できる。

 せっかくなので、無分流の記述を観てみよう。無分流は腹部だけで治療を行おうとした革新的な治療であるが、日本鍼灸、また湯液の腹診に大きな影響を与えた。今回は鍼灸重宝記より引用する。



 当流伝受の奥義
 抑 予が伝るところは本朝針家の祖、無分の末流なり、病の頭にあるも腹に刺し、病脚にあるも亦原に刺す。その刺すに次第あり、緒病まづ臍の下二寸、丹田の一穴を刺す。… 
「解説 鍼灸重宝記」より


 無分流はまず丹田に火曳きの鍼という軽い鍼をはじめに撃つのであるが、この手応えにより、予後を占ったという。丹田の虚実を診るのは沢田とよく似ている。違うのは、沢田は丹田を診断点としたのに対し、無分流はそこに第一鍼を撃ち、診断点であり、治療点としたことであろうか。無分流のように、手ごたえで病人の状態を診る、または沢田のように、左陽池と中脘を交互にすえ、丹田に手をすえていた(であろう)。どちらがよいかは、単純に比較できない。

 さて、よく身体は正直である、という論者がいるが果たしてそうだろうか?薬でも飲んでいたら、仮面の脈と呼ばれ、あまりあてにならないし、腹にしろ、脈にしろ、身体は正直に示してくれない。そこで治療家はいくつか、身体の正直な姿を見出す為の技術も持っている。


 腹あるいは頭に二,三本軽い鍼をします。穴は、百会、けんろ、中かん、気海、天枢などです。こうすると、不思議なように本証の脈がびしっと出てくるものです。 「鍼灸治療の真髄」 岡部素道

 しゃくじゅ治療でも、腹部、背部に軽い接触鍼をしてから、探るようなので、接触鍼は下準備だろうか?

 私は、無分流に習い、火曳きの鍼をあまり深く考えずに、治療のはじめに使っていた。それから脈を診ていた。これは、気を降ろす意味もあるから、間違いは少ない方法であったようである。
 さて、沢田流のやり方も、ひょっとしたら、左陽池と中脘で診断しやすくしていたのかもしれない。

続く

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澤田健の診断術(前編)

 沢田健が実際どのような治療をしていたのか?今となっては想像するしかない。私はとりあえず、「沢田流聞書 鍼灸真髄」から色々を拾い上げて考察してみようと思う。以下の引用文献は全て「沢田流聞書 鍼灸真髄」である。

  第一回見学筆記 昭和二年六月十日より
助手 城一格氏が助手をなさっていた。先生が腹を診、腰を診、背を診、手を診、足を診られ、腹と腰は灸を自らすえられる。城氏は背と手足をすえて、その上会計をやり、人名簿を記帳される。実に多忙を極めていた。

 第三回見学筆記 昭和三年七月六日より十日に至るまで
 施灸の順序
 これも今度の見学中、特に注意を惹いた事である。前には座位にて背部よりはじめて次に腹を仰臥で診、伏臥せしめて腰部を診、次に座しめて手足を診るという風であったのが、今度は先づ仰臥せしめて腹を診、次に伏臥せしめて腰を診、次に座しめて背部を診、次に手足を診るのである。多くの経験を重ねるうちに、これが一番よい診方であるということに気づかれて、こう改められたものと見える。先生は絶えず進んでいられる。


 もっとも第四回見学筆記の網膜炎の治療では、旧来の背中からの施灸順序になっている。しかし、途中から、腹部から施灸が始まっている。

 灸点をおろす順序は、背部、腹部、腰部、手、足、という風であった。後にはこれを改めて、腹部、腰部、背部、手足という風に変わった。


 上記は冒頭に書いてある。これによると昭和三年頃より施灸の順序を変えたのであろうか?
 また、助手が城氏の時は、沢田は腹部と腰だけ自分で施灸して背中と手足は助手に任せていたようである。これは、沢田の治療の重点は腹と腰である事を示唆している。つまり腹と腰で治療の勝負はつけていたとも受け取れる。ブログ仲間だったツボ太郎先生も似た考察をしている。

 では、背中と腰の区分はどこであったであろうか?これは「灸点治療法」から見て取れる。


 灸をすえる時の注意

 施灸時の順序は、初めに仰臥の姿勢で腹部をすえ、次に伏臥して臀部、腰部及び背部の脾兪までをすえ、次いで背部、肩部、頚部、頭部をすえ、次に手、足をすえる。施灸の最初には必ず、中脘と左陽池を交互にすえる。この場合、左手を軽く下腹部の上に置く。すえ終えれば左手は体側におろす。
                                  「灸点治療法」より


 灸点治療法の著者の記述どおりなら、沢田は伏臥で脾兪までは、自分ですえていたことになる。これは先天の気を腎兪、後天の気を脾兪で補っていた沢田の考えに一致する。また左陽池は腹部に入れた方が正確だろう。


続く

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プロフィール

やいと屋 知足斎

Author:やいと屋 知足斎
FC2ブログへようこそ!
幼少の時より喘息などに苦しみ、健康雑誌、東洋医学の世界に入り込む。中学時は三国志の影響で中国の古典に興味を持つ
大学は法学部に進むが鍼灸の夢、捨てきれず近くに鍼灸新設校ができたきっかけで、三十路目前に入学
曾祖母が家伝灸の使い手で、その影響で灸の研究、研鑽を積む毎日
趣味は民俗学研究 だが今は鍼灸に専念する為に封印
家伝灸研究も最近は趣味になりつつある
1年次より中医学の勉強会に通い、3年次は経絡治療も学ぶ。
長野式また撃鍼(打鍼)法
積聚(しゃくじゅ)治療の研究も進めている

平成二十二年三月鍼灸師合格 四月 鍼灸師登録
やいと屋として奮闘中

ナード・アロマテラピー協会認定
アロマ・アドバイザー

キネシオテーピングトレーナー

覚王山鍼灸研究所 研究員

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