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シャアのように怒れ!!

 ガンダムユニコーンは面白いです。
ユニコーンを見るとその前編たる「逆襲のシャア」とか「ZZ」とか「Z」とか見たくなります。それこそ製作者の思うつぼですが、DVDレンタル店に行くとユニコーンも借りられていますが、それ以外も借りられています。みんな、やっぱり見たくなるのでしょう。
 劇場版起動戦士ガンダム めぐり合い宇宙の原作とも言うべき本に「密会」というものがあります。もっとも、劇場公開してかなりたってからかかれたものだから、純粋に原作とはいえない。小説版はアニメ、劇場版とはまったく違う世界観で書かれています。

 ユニコーン見ていたら、無性に「密会」を読みたくなりました。密会ではガンダムの世界観が書かれているのですが、なぜジオンは地球の連邦政府と戦う道を選んだのか?その理由のいったんを知ることができます。

 つまり地球を離れて宇宙で暮らす人々に地球の連邦政府は不条理とも言える税金をかけたり、参政権を認めなかったり、結構ひどいことしているんです。そこでガンダムに出てくるシャアのお父上ジオンさんは、「コンナンやってられるか!!」とキレる訳です。ガンダムの複雑なところは、そのジオンさんを部下のザビさんが暗殺し、ジオンの名を使ってまあ、自分の国作っちゃって、独立宣言しちゃうんです。

 ジオンさんの息子シャアは、「起動戦士ガンダム」では父親の敵とも言うべきザビ家に復讐を果たすのですが、「Z」では地球が恋しくなり、地球圏に行くのですが、そこで連邦政府の上の連中を知って、絶望し、「ZZ」では雌伏し、ついに堪忍袋の緒が切れて、親父さんのジオンのように、むしろジオン以上に地球の連中に鉄槌を下そうとするわけです。それが「逆襲のシャア」ただ連邦にひどいめにあってきたことを考えると、すごく単純明快。

 シャアのお父上ジオンさんからシャアまで、シャア目線でなくとも、設定背景を読むと、「ジオンさんが怒るのも無理は無い、というか普通怒るぞ。」と思えてきます。一揆とか革命が起きても当たり前なわけで、初代ガンダムの世界観が単純に善悪でないところが、複雑であり、多くの人をひきつけるところでしょう。

 「密会」読むと「逆襲のシャア」までの流れがわかるし、その続編ともいうべきユニコーンにもその設定が生かされているのです。

ユニコーンには「シャアの再来」とも言われる、フル・フロンタルという人が出てきますが、この人がシャア本人でないのか?それともシャアの影武者だったのが、本人の真似していたら、いつの間にか、自分がシャア本人だと思っている影武者?と色々想像させる人間を出しています。

連邦の極悪非道?ぶりを見ると、シャアとかジオンさんの方に大義名分があるように思えるし、キレて当然です。これは吉良上野介にぶち切れた浅野内匠頭のようなもので、日本人の価値観ならシャアの方が好きという人が多い理由もわかる気がします。

とにかく、連邦政府の上から目線、ムチャが宇宙圏の人の離反を招いたように、人間の歴史では、こういうことはよくあります。よくまあ、こういう設定を考えたもんだ。

こと、鍼灸の世界でも、特に流派などでは、この手の話はあって、上層部の傍若無人さに頭にきて分派したとか、独立したとか、追い出されたとか。

分かれたところなぞは、僕に言わせれば「ポケットの中の戦争」もとい「コップの中の痴話喧嘩」とも言える訳で、くだらないものだと思っていましたが、こと事情をしると、むしろ分派した方に切れて当然だよな、と同情したりするわけです。

分かれるのは、どのような団体でもある訳で、どちらにも大義名分があるわけでもない。しかし、本人たちはいったって真面目で、大義名分があるように思うだろうし、世間、一般世論が味方すると、考えるでしょう。今風の人なら自分こそ理不尽に立ち向かう、シャアだ!!と言わんばかりでしょう。

余談になりますが、シャアの再来こと、フル・フロンタルの正体は劇場版では明らかにされないでしょう。シャア本人なのか?それともなりきって頑張っている影武者なのか?

影武者が本人の振りをして頑張る話は、昔からあったようで、戦国時代の徳川家康は、少なくとも二回、死んでいたのでは?という俗説は古くからあったようです。元々家康は何時死んでもおかしくないような戦を繰り返してきた歴戦のつわものですが、まず一回目は関が原の戦い、この時の乱戦で命を落とした。もうひとつは大坂夏の陣。真田軍の猛攻で命を落とした、というもの。
関が原で死んだのは本人で、その後奮闘するのが影武者という設定なのが「影武者 徳川家康」この小説は読み応えあります。

アニメの設定とはいえ、上のものが下へ無理難題、理不尽な要求をすると、下のものは反乱するのは現実世界ではあることなので、いじめないよう。



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ご~まんかましてよかですか?シリーズ 後書き

 ご~まんかましてよかですか?完全教祖マニュアルから、は如何でしたか?

 これは、実在する鍼灸団体の内輪の話という訳ではありません。何処でも似たようなことないだろうか?と仮説を立てながら書いてみました。

 完全教祖マニュアルを読んだ時、奇しくも鍼灸と随分似た論点があるな、と感じました。

私は結構ビジネス書も読みますが、ビジネス書より、こういった宗教本のほうが、鍼灸は理解しやすいかもしれません。

 宗教の流行り廃り、鍼灸全体の流行り廃り、そして流派、研究団体の流行り廃り。鍼灸の歴史をしると、こう思いますね。「人は歴史から教訓を何も得られず、何回でも同じ過ちを繰り返す」これが人間なんです。某アニメのように「メビウスの輪」から抜け出せないように、永遠に繰り返すのか?

 鍼灸は、紀元前より伝わる伝統医学といいます。ですがこの鍼灸に未来はあるのでしょうか?これは色々な見方が出来ますが、鍼灸学生から、現役の鍼灸師まで、一様に「難しい」と言うでしょう。もっと酷い場合は「いやいや、未来があるのか?ではなく、既に今が無い」という声も聴こえそうです。

 別に僕は大上段に構えて、鍼灸の未来を…というつもりもありません。

 目の前にいる患者にハッピー(幸せ)を与える。こういう鍼灸師が増える。そのような草の根運動が鍼灸の未来を切り開くと考えております。

 なかなか、「完全教祖マニュアル」という本は色々示唆を与えてくれます。

 鍼灸の歴史に興味をもたれましたら、「昭和鍼灸の歳月」「鍼灸老舗の人々」を読むことをオススメします。完全教祖マニュアルを読んだ後に鍼灸史の本を読むとまた違った解釈が出来ます。そういった解釈は、上地先生の喜ぶ解釈ではないでしょうが、斜めから鍼灸を見てみるのも、良かろうと。

 また、ご~まんかましてよかですか?シリーズは書くかもしれません。その時はよろしく。


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ご~まんかましてよかですか?シリーズ 東洋医学的な世界観を布教しよう

 教祖のお仕事は人をハッピーにすることです。(中略)彼らは人々に世界を解釈する斬新な方法を与えていたのです。私たちが何を考えていようとお構いなしに、「世界」は、こう、どーんと存在していますよね。問題は、私たちがその「世界」をどのように解釈するかということです。どう解釈したらハッピーに生きていけるのか、十人十色ですから、それは人によって違います。科学的に解釈するのも一つの選択ですし、キリスト教的に解釈しても、仏教的に解釈しても、イスラム教的に解釈しても構いません。それは自由ということになっています。「実はこれが正解でした!」というのが本当はあるのかもしれませんが、今のところ誰にもわからないので、自分がハッピーになれるものを選べばよいのです。教祖のお仕事は、そんな選択肢の一つを与えること、つまり、あなたなりの世界解釈を説くことなのです。 「完全教祖マニュアル」より

 鍼灸といえども万能ではありません。二百歳まで生きられるようにするとか、心臓の止まった人を甦らすとか、無理な話です。鍼灸師のお仕事も実は人をハッピーに生きる糧を与えることともいえます。人間は誰でも病になります。たとえ不治の病としても、残りの人生が楽しく生きられるようにする、そんな価値観を示すお仕事ともいえます。

 人体も本当のところまだよくわかっておりません。西洋医学が進み、今後、西洋医学的な解釈でわからないことが無くなるかもしれませんが、今のところ無理があるようです。そこで我らは東洋医学的な解釈の方法を示し、人々をハッピーにするというのはどうでしょう?

 もちろん、東洋医学は様々な解釈があります。中医学的な解釈、経絡治療的な解釈、または自分で作っても構いません。どれも正解とはいえないかもしれないし、実は正解かもしれない。わからないから、それは自由です。ですが今の鍼灸界はその解釈の仕方で争っております。それは不毛ですよね。争うぐらいなら、多くの病める人にハッピーを与えた方が有益です。

 西洋医学的な解釈をするのがドクターなら、僕らは東洋医学的な解釈をする専門家を目指してはどうでしょう?もちろん、ドクター的な解釈でも構いません。しかしながら、今は西洋医学でもよくわからない疾患が多い。そんな時に違った解釈で救いの手を差し出すことができるかもしれない。西洋医学だけでは、全ての人々をハッピーにできないのです。

 東洋医学的な解釈を示し、病める人に違う選択肢を与えること、それが僕らの仕事になるかもしれません。

 人々に布教できるくらいになるには、東洋医学的な人体感、そして臓腑の働きとか疾病の病因、病理について知らなくてはできません。今は鍼灸学校を卒業したら、そんなものは臨床に役に立たない、として捨ててしまう鍼灸師が多いのです。臨床の役に立たないのではなく、知識の使い方を誤っているのです。東洋医学概論の教科書を手始めにして、自分で古典を読んでみるとか、考察するとか、そういう作業をめんどくさいから避けているのが実情ではないでしょうか?

 私なりの雑感ですが、東洋医学をそれなりに使いこなせるようになる勉強の時間量は西洋医学よりはるかに短時間で、マスターできます。ドクターの真似をしなくても良い。これは鍼灸国家試験でも解剖学、生理学の必要とされる知識量よりも、東洋医学概論の知識量がはるかに少ないことから類推できます。

 (ですが、東洋医学を自由自在に駆使するのは、それなりに経験と学識、絶え間ない研究がないと難しいですが…)

 学校を卒業すると、今まで学んできたことは臨床の役に立たないと捨てるのも一法。ですが、学校で学んだことを臨床に応用できないか?と試行錯誤したのが、学校卒業後の私です。どちらが良いかはわかりませんが、そういう生き方もあるのです。

 私はやいと教教祖として、患者の皆さんがハッピーになることを願ってやまない者であり、そして、このブログを駄文ながらお読み頂く皆さんの幸福を願ってやまない、一人のしがない教祖でもあるのです。

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ご~まんかましてよかですか?シリーズ 五行論も一つの解釈にすぎない

 私たちは幼い頃より科学教育を受けていますから、ややもすると「世界は科学の通りに回っている」と考えがちです。しかし、無論、これは誤解です。実際のところ、科学は世界の一部を独自の理論により体系立てて説明しているだけです。だから、科学で説明できないことだってあるのが当たり前と言えます。もちろん、遠い将来には科学で全てが説明できるようになるのかもしれません。その可能性はあります。しかし、現状はそうではない。それだけの話です。「完全教祖マニュアル」より

 上の文章は鍼灸を科学で解釈しようとしても、今の科学では無理があるだけである、という事も出来ますし、むやみやたらに科学派を唱えるのは馬鹿げている、ともいえます。僕自身、鍼灸の力が科学の眼で証明される事日がいつかはくるだろうと思っていますが、(数千年先かもしれませんが)今のところ、無理がある。ならば昔の人が考えた理論を使って、臨床にあたれば良いのではないか?と思っています。病気を治すのが目的であって、手段が他人には非科学的であっても治すことが治療家の与えられた使命だとおもうのです。

 うさんくさい、と思われている陰陽五行学説ですが、僕自身五行は、大昔の天才が集まってこの世の原理を解明しようとした、当時の最先端の科学だと思っております。五行説も今の科学と同じく「世界の一部を独自の理論により体系立てて説明している」ものと考えております。

 ただし、世界の真理、全ての現象が五行で説明できる、とする考えは危険だと思うのです。陰陽五行学説、今は鍼灸で使われておりますが、占いの世界でも使われております。また、民俗学のまつりも陰陽五行学説の応用といえるものもあります。近年は混沌とした先の見えない世の中ですので、にわかに占いがブームになっていると思います。私も書店に行っては、占いの本を立ち読みすることもあります。

 ですが、内容を読んでみるとうん?と思わせるものも。どういうことかというと、「男は○○であるべきである」「女は○○であるべきである」と言葉で書いてなくとも、妙に自己主張が強い本があったりします。これが戦前に書かれたものであるとしたら、教育勅語の影響でしょう。教育勅語は朱子学の一部分を拡大解釈させたものともいえますから。

 しかしながら現代人が書いた占いならこういう解釈も出来るのではないでしょうか?

 五行論や易経を論じているフリをして、実は自分の意見を表明しているのではないか?

 つまり自分の意見が先にあって、これを正当化させる為に五行を使っているのではないかと。そうやって占いの本を読んでみると、結構疑わしいものがあります。本来なら易経など儒学、老荘思想など中国の思想を独自に研究する必要があるのかもしれませんが、普通の人はそこまで、裏をとることはしません。別の考察コーナーにかいた、「普通の人は科学であるというだけで頭から信頼する」
のは実は普通の人は小難しく東洋哲学っぽく説明すれば無条件に信用してしまうかもしれません。

 しかしながら陰陽五行学説も人が作ったものです。全知全能の神が創ったものではない。人が作ったものであれば、自ずと解決策が見えてきます。これが、まさに神としか呼べない存在が作ったものならば、解決策もでてこない。陰陽五行といえども、人が作ったものに過ぎない。そう考えて、五行を支配下に置き、使いこなすようにしたいものです。ともすれば鍼灸師という人種は「眼に見えないものに支配されている」と想いがち。実際に支配されている、そうかもしれませんが、五行の理論に身動きできなくなるのではなく、五行を駆使する側であるという強い意思が必要だと考えております。


しかしながら「易経」を読んでいると、そういう世界があるかもしれない、と思うようになったこの頃。

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ご~まんかましてよかですか?シリーズ 権威を利用しよう

 鍼灸医師を名乗りたがる鍼灸師は多いです。ですが鍼灸医師を名乗りたいのなら、医学部に入るべきだし、それが無理なら鍼灸博士号を取るべきです。その努力をせずに名乗りたい人は、ドクターに対してコンプレックスを持っている事を証明しているようなものです。ですがこの世は肩書きに弱いのも事実。鍼灸師としてよりも、医学博士として発言した方が人々は耳を傾けます。ですが僕が提言するのは、自分が医学博士とか権威になるよりも、権威を利用した方が労少なくして多くの利益を得ます。

 「一つの集団において、それが宗教団体であっても企業であっても、時代が違うからとか、もう古いことだからといって、そこにある真理やその集団の持っている権威というものまで否定してしまったらあかんな。そんなことしたら、その集団の中のものみんなが動揺するわな。むしろ上手にそうしたものを活用せんと集団は発展せえへん。たとえば、ある宗教団体の偉い人とよう会うけどな、あの人は決してと言っていいほど、自分はこう思うとは言わんね。必ず、お釈迦さんはこう言うてはる、そういう言い方やな。そうしてだから自分はこう思うんやとね。常に真理というか、そういう権威というものを踏んまえて、そして話をする。だから、聞いているほうも、なるほどなあと思うし、この人についていけば、間違いないなとこうなるんや。
 集団を運営する、経営するというのは、そう難しいことではないんや。そういう真理とか、権威があれば簡単にできることやな。無い場合はつくらんといかんな。(中略)共産主義でもなぜこんなに広がったんかといえば、これに同調するもんがみんな、マルクスはこう言った、レーニンはこう言っとる。そういう言い方をするからな。だれもがいつも一つのところから出発できるからな。動揺もせんと。その考え方が広まっていくわけや。
 自分の考えにとらわれて、自分はこう思うと言っておると、いつまでたっても出発点が定まらず、その集団は発展するどころか滅亡するわな。」 
                             「わが師としての松下幸之助」 高橋荒太郎


 上記の文章は松下幸之助がしゃべったことです。仏教でもその経典は、主語が釈迦ではありません。近くにいた弟子で「私はこのように聴きました」という決まり文句から釈迦の教えは始まります。儒学の論語は「師のたまわく」ある時孔子様は次のように言いました、という出だしから始まります。
 主語が直接、権威そのものでは無いのです。松下の指摘どおりです。この方が人を説得する力があるのでしょう。

 「あるある大辞典」「午後は○○思いっきりテレビ」で人々に健康旋風を巻き起こした、伝説の司会者、みの○んたさんは医学博士ではありません。医学博士はこう言っています、だから○○は健康に良いんです、という論調で人々は動いたのです。○のさんは(正確には番組のPが)医学博士という肩書きを持つ人の権威を使って、自説に説得力を持たせたんですね。この現象は多くの示唆を与えてくれるでしょう。

 また最近有名になった「ミスターニュース」池上彰さんの存在も参考になると思います。池上さんはとてつもない特ダネを取材してくるという存在ではありません。もちろん取材はしますが。実は池上さんが凄いのは、ネットにつなげばあふれ出ている情報の洪水の中から、重要と思われるものをチョイスして、情報を解説しているのです。自分が情報を発信しているというより、情報の噛み砕き方をわかりやすく示しているのです。

 み○さんのように、医学博士とか医学の古典を引用し、自分の説に説得力を持たせるか、池上さんのように、健康雑誌で溢れている健康について、わかりやすく解説し、情報を武器とするか、この二人の存在は、我ら鍼灸師にとって、どうすれば人は納得するのか?多くのものを示しているのです。

しかし何故、多くの人が、みのもん○さんに従ったのでしょうか?

 実は、人は、多くの選択肢から選ぶ事をおっくうと考えるのです。選択肢を選ぶより、どこぞかの権威の言う言葉に従っている方が楽なのです。権威に従う事を人は生まれながらにして、訓練を受けているのです。こういう考えを「人道的でない」とする人はいるでしょうが、僕は全く気にせず?人間の行動原理を利用することを選びます。

 権威を利用するなら、この世にいない人の言葉を使うとか、黄帝内経のように神様にしゃべらせるというやり方が賢いです。これも「セコイじゃないか」と言われるかもしれませんが、別に人様に迷惑をかけているわけでないので、じゃんじゃん使います。


 さて「神の手を持つ」と呼ばれるのは鍼灸師にとって名誉ですが、神様扱いを受けるのは、本人にとっても、まわりにとっても迷惑です。

 松下の発言に戻りますが、鍼灸医師は、流派のトップが名乗っている場合が多いです。これはどういうことかといいますと、流派(集団)にとって権威がほしい、そこでトップに権威(この場合は鍼灸医師)になって頂こう、とまわりが担ぎ出した場合も多いと考えています。それが組織にとってベストな選択であるのか?これは良く考えるべきことなのです。
 話は脱線してしまいましたが、権威になるより権威を利用しよう、というのが僕の主張です。鍼灸界のみの○んた、池上彰を目指しましょう、というのが、僕なりの考察です。

間違っても「鍼灸医師」は名乗らないことです。これは医師法違反で捕まります。それに鍼灸医師を名乗っても、人は「医師」という肩書きに耳を傾ける訳で、あなたの言い分をわかってくれるわけではないのです。肩書きに乗せられても、生き方を誤ります。そういうことは、歴史から学ぶべきなのです。

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プロフィール

やいと屋 知足斎

Author:やいと屋 知足斎
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幼少の時より喘息などに苦しみ、健康雑誌、東洋医学の世界に入り込む。中学時は三国志の影響で中国の古典に興味を持つ
大学は法学部に進むが鍼灸の夢、捨てきれず近くに鍼灸新設校ができたきっかけで、三十路目前に入学
曾祖母が家伝灸の使い手で、その影響で灸の研究、研鑽を積む毎日
趣味は民俗学研究 だが今は鍼灸に専念する為に封印
家伝灸研究も最近は趣味になりつつある
1年次より中医学の勉強会に通い、3年次は経絡治療も学ぶ。
長野式また撃鍼(打鍼)法
積聚(しゃくじゅ)治療の研究も進めている

平成二十二年三月鍼灸師合格 四月 鍼灸師登録
やいと屋として奮闘中

ナード・アロマテラピー協会認定
アロマ・アドバイザー

キネシオテーピングトレーナー

覚王山鍼灸研究所 研究員

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